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社会福祉援助者に必要な虚心とは

社会福祉
UnsplashTingey Injury Law Firmが撮影した写真

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社会福祉士が相談業務や利用者との関わりの中で、利用者に対して常に客観的な思考態度感情で対応できるかと言えば、それは不可能であると思っています。

神様ではないので、社会福祉援助者といえども様々な感情を持って相対することは仕方のないことだと思います。

昔、自分の仕事のことを友だちの親父さんに話をしたら、「福祉の仕事はボランティア精神やマザーテレサのような心が必要だ」と力説されたが、この業界で働いている人でマザーテレサのような人をみたことがないし、お金をもらってこの仕事をしている以上、ボランティア気分で仕事をすることの方が、それはもはやプロではなく、それこそ相談者に対して失礼だと反感したことを思い出しました。

しかしだからと言って、そうした主観的感情をコントロールできずに、自分の感情の赴くままに利用者にそれをぶつけてしまうのでは、これは専門援助でも支援行為でも無くなってしまいます。
「自己覚知」とも言いますが、ここをきちんとコントロールすることがプロフェッショナルとしての専門技術であるし、そのために自らが持つ感情のありようを自覚して相談業務に関わるためにいわゆる「虚心」に努めるわけであります。

社会福祉援助者であっても人間である以上、価値観は様々で、それに基づいた様々な感情を持つことは当然であり、否定的な感情もその一部であります。
社会福祉援助者だからといって、全ての人間を好きになることはできないし、全ての人間から好かれることはできません。
利用者に対する否定的感情を心中から完全に消滅させることができたら、まさしく神の境地。

しかし専門家としてそうした否定的感情を、どういう場面で持ちやすいかということを自ら自覚・意識して相談業務に影響が出ないように自らの感情をもコントロールしつつ援助に当たるというのが専門的態度であり、ある意味、虚心ということになると思います。
日々の生活の中でも、このことを自覚できる訓練を意識することで、より虚心に繋がるものであると思っています。

自分自身のことは自分が一番よく知っているというのは、大いなる誤解で、他人からしか見えない自身の欠点や弱点を持っているのが人間です。

ただそれが虚心の状態であるかどうかということについては、他者の評価や第3者の声に耳を傾けながら自らが再評価していくという鍛錬が必要となります。

そういう意味で社会福祉援助者というのは、常に他人の目に届かないところでも、孤独な精神作業を繰り返して行かねばならないのだと思います。

自分が選んだ仕事だとはいえ、日々の業務がそれを強いるのであれば、神様は自分にそういう機会や権利を与えてくれているんだと思いながら、今自分が立っているであろうステージの上で全力を出しながら走り続け、目の前の一つ一つの現象にきちんと着実に取り組みたいと思う次第です。

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